根本 政夫さん(長沢長生会会長)
根本政夫氏は農家の二男として生まれた。
昭和28年頃大変な就職難の時代だったが、大手出版取次会社に45年間勤続した。
働いていた時は地域の活動にほぼ参加できていなかったので、定年を機に奥様が長沢自治会の理事に就いておったところを引き継いで地域社会の向上に務められた。
(現)長生会に所属転換するまでに長沢自治会副会長まで務めあげた。
【長生会のスローガン】
『会員相互の親睦を図り、地域の誰もが安心して暮らせるように』
長生会員が楽しめる趣味の面でも幅広く活動されている。
アクティブな方は、グランドゴルフ・ゲートボール・カラオケ・バス旅行など実施。
また、趣味の作品の展示なども行っているという。
■加入要件 自治会に加入している60歳以上の方々に積極的参加を希望します。
現会員最高齢は103歳と驚きだ。カラオケもアカペラで元気に歌うというのだから驚きです。
■長生会の役割
①最近では加齢による病気や認知症の単身者が多いため1人暮らしの単身世帯の状態を見回る活動
②認知症サポーター養成講座受講の仕組み構築
③社会奉仕の清掃活動
【長沢の今昔】
約80年前 長沢はとにかく緑の多い丘陵地帯であった。世帯数も現在の約5000世帯とは程遠いたったの100世帯しかなかったのである。
長沢の発展は道路開拓なくしてなかったと語る。
当時生田駅への経路は2通しかなかった。
①ナカヤト(中谷)→ハヅキ(葉月)→春秋苑→栗谷→生田
*角屋さんより高橋接骨院さん方面トウノコシに抜ける道(中谷:なかやと)
②三田ヶ原(ゼット坂)→西三田団地→三田第2公園(まむし公園)→生田駅
①昭和道路改修記念碑
東長沢交差点から生田駅方面に向かう全長1,389mの新道で、それまでは上記の幅約2mほどの山の中を通る山道しかなかったとのことです。
長沢の人達が切望していたこの道路は、地元の方々が総出でツルハシ・スコップを使って建設、手作業で尾根を切り完成した。地元の人達は、この感謝の気持ちをいつまでも忘れないよう、昭和10年(1935年)に記念碑を建立しました。
この道路により生田駅・生田小学校への便が格段に良くなったといいます。
②西長沢より餅坂・中の台・原店まで
【岸井富蔵氏】・【関口春吉氏】・【末吉達氏】の協力があった為に開拓できた。
現在、新百合ヶ丘・百合丘よりバスの往来が可能になり格段に交通の便が良くなった。人口の流入も進み、県立高校も近隣に2校隣接し、都心で働くサラリーマン世帯も住むように、また、自治会をはじめ防犯・安全・安心を町ぐるみで実施している。防犯灯も多数設置されており、昨年末には長沢商店会の街路灯もLED化し少しづつ変化を遂げている。
今後より良いまちづくりには、やはり平瀬川のような四季を通して老若男女問わず触れ合える場所が必要だという。またそれに付随して誰もが参加できるイベントを定期的に実施していける仕組みの構築ができればと考えている。
また、次世代の人達に望むこと・・・
長沢地域を守っていく後継者として地域の取り組みに率先して参加してほしい。
現在も残っている旧道の紹介
①秋月院からカネコ種苗さん前までの道
②角屋さんより高橋接骨院さん方面トウノコシに抜ける道(中谷:なかやと)
③武信さんそば、ビューティーよねやまさん裏の道
④美容室ティートゥリースター前、(聖マリアンナ行)百合丘高校前バス停裏の道
⑤長沢自治会館前より長沢諏訪公園のわきを通り、稗原に抜ける道
長沢の今昔は、今後も掲載を予定しています。
旧道を歩いてみてはいかがですか? 長沢の歴史を感じられると思います。
[取材日] 2015年2月
[インタビュア] 平井将太さん [写真]原山昇さん
(注)内容は、取材当時の内容です。
投稿者プロフィール
- らぶながさわ[長沢まちづくり協議会(事務局長)]。宮前区長沢自治会役員。全国的には[pipi]の愛称で「里山福祉」「下町福祉」を発信中!!川崎市民として「NECレッドロケッツ」「川崎フロンターレ」「川崎純情小町☆」を応援。Hiroyuki Takahashi...
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